一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

脱力する能力という矛盾

昨日カウンセリングに行ってきました。最近自分をちゃんと守りながら対人関係に対応できてて楽になったと思ってるのだけど、まぶたがピクピクすることがあったりして。

どうも無理してるのを体が知らせている気がする、みたいな話をしました。他にも色々話したのですがぜんぜんまとめられません。頭の中にいろんな自分がいるのですが、インデックスが付けられず混乱している感じです。

 

快、不快を素直に表す部分(エス)と、傷付かないように自分自身を守っている部分(自我)と、社会とよりよく関わろうとする部分(超自我)に分けられるのかなーっと、自分の心を整理してみた。。

 

自分のわくわくや、心地よさに従って選択していくことが自分の求めていることなのかなと思っていたけど、それだけでは進めない社会に生きる自分。。どこまで他者を受け入れて、どこまで自分を主張していくのか、そのバランスの難しさよ。。

自分軸の飼い慣らし方について模索中です。

 

カウンセリング後に、小学校からの友人と2年ぶりに会いました。しばらく色々しゃべっていてカウンセリングに行っている話もしていたら、「なんか別人みたい、言う言葉が全然ちがう」と。

ついつい、小学校の横並び教育とか夫が押し付けてくる「こういうもん」みたいな価値観がもう耐えられないみたいな話に熱が入りすぎていた気がします。

弱い犬ほどよく吠える、て言葉はなんか好きではないけどニュアンスとしてはそんな感じかもしれません。

その調子で!と言ってもらったので、もうすこし肩の力を抜きつつ自己主張できたらいいかな。