一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

わくわくすっぞ

姪っ子がいて、小学6年生になるのですが赤ちゃんのときから知っているのでどうしても何かしてあげたいとか、対等に接していないなーと思います。

年齢や何か肩書きみたいなもので上下があることに違和感がずっとあって、どちらにしても敬意をもって接していればなんの問題もないのでは、というのが個人的な考えとしてあります。

 

それでも社会のなかでは、ことあるごとに色んな種類の上下をつける場面が日常的にあり、周りと波風立てないようにしてきました。目上や上司の言うことには逆らわず絶対服従。そうすることで自分の身を守れると信じて生きていました。

自分に後輩が出来たときには、対等であれるようにと理想を描いていましたが、今思えばこちらが「してあげる」という傲慢さがありました。

 

あるとき自分の子どもが宿題が終わらずに泣いていて、夫が「そんなに嫌ならしなくていい」といって声を荒らげたことがありました。そのとき、夫に対してわたしは「そんな風に怒らずにもっと子どもを信じて、見守ってあげてよ」と泣きながら言いました。

 

そのとき初めて、自分は親に対して「もっと自分を信じて見守って欲しい」と思っていたんだなと気づいたんです。それまでは、親との分離が出来なくて息苦しくて、どこが出口なのかもわからくなっていました。

 

そのことがあってから、相手が持つ力を信じて、必要なときヘルプサインを受け取れるような存在でいられることが自分の理想になりました。さらに言うと、まず自分の人生を楽しんでいること。

イメージでいうと。。ドラゴンボールの悟空とか?なんか理想のお父さんとかじゃないんだけど、誰に対してもフラットで、戦闘民族の血に正直で、強い敵にもわくわくして楽しそうですよね。わたしも自分の人生を自分に正直に、楽しめるといいな。

 

理想はあくまで理想で、なかなか現実にはなりません。姪っ子にしても子どもにしても、ついつい口を出したくなります。

それでもわたしも、わくわくしながら自分自身の力を信じて見守っていきたいです。