一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

未来に連れていってあげるからね

『葬送のフリーレン』を子どもが見ていて、途中から追いかけて見ています。なかなか追いつけない。。

題名は、フリーレンがフォル爺に言ったセリフの一部。

「フォル爺の記憶も私が未来に連れていってあげるからね」

そんな詳しく見ていないけどズドーンと入ってきました。フリーレンは長生きの種族なのでそう言うのが構図としてとてもわかりやすいのですが、自分の子どもや、今生まれてきている子どもたちがわたしにとってフリーレンのように感じました。

 

自分の生きた証ともいえる記憶が、途切れず未来へつながっていくということに自分も大きな自然の一部なんだという情動を感じて。

 

情動を感じる、情緒を感じる、どういえば一番言い表せているかなと考えていて、情動を感じる、というと人によって印象が限定されるのかもしれないと思ったとき、エモいってとてもエモい気持ちを表すのにドンピシャな言葉だなーと思いました。

わたしにとってのエモいは全わたしが揺さぶられる感覚というのが近い、かな?

 

ドンピシャっていうのも、「的確だ。」と言うよりドンピシャのほうがやっぱりドンピシャだし。ぴったりくるでもいいかもしれない。

 

未来では色んな謎が解明されているのかな、車も空を飛んでいるかな、そんな話を子どもとしていて、わたしも未来へ連れていってねとお願いしました。

未来を生きていく子どもの記憶に私がいるということは、子どもがわたしを未来へ連れて行くとも言えるわけで。

わくわくすることは尽きません。

 

 

 

メイドインジャパン~僕の赤白帽~

あまり生活する上で重視しないようなことをつらつら考えてしまうのですが、今日は子どもの赤白帽のことを書きたいと思います。

 

子どもたちが幼稚園の年長さんのときから赤白帽を使っていて、小学生でもそのまま使っていたのですが、あごひも?が取れてしまったのでお直ししようと思ったときのことです。

赤白帽をそんなまじまじと見たことがなかったので知らなかったのですが、赤帽のほうは赤い糸で、白帽のほうは白い糸で縫製してあるのです。

びっくりして、しばらく放心してから誰かと分かち合いたい気持ちになりました。

こんな細かい心遣いで赤白帽が出来上がっていたことに感動して。

 

ついでにいうと、手縫いでお直しするとき赤糸か白糸、どちらでなおすべきか、という、一般的には「好きなほうで」と言われそうな問題について誰かと純粋に意見交換をしたくなりました。

真剣に向き合うことで、帽子を作ってくれた人と心を重ねられる気がしたというか。。

 

なんとなく小さな町工場(令和ロマン?)をイメージしたけど今はきっと機械で大量生産ですね。

調べたらこうでした↓

紅白帽は、昭和の中期・後期に活躍した喜劇俳優にして落語家で発明家でもあった柳家金語楼が発案し、実用新案として登録したのが始まりで、当初から全国に広く普及し、今日の日本においてもほとんどすべての小学校で採用されている。』

最初に作った人は色々試作したんだろうな。

ミシンを使ったことがある人はわかると思うのですが、ミシンは上糸と下糸に分かれているので表と裏で色を変えることが可能です。

ミシンで作るようになってから赤と白の糸で縫うようになったんでしょうね。

考え始めると止まりません。。

 

当時のママ友に、

「赤白帽のひもをつけ直そうと思ったら、赤と白に縫い糸が分かれていた!どっちの色で縫えばいいと思う?」

っていうふうに話をしたら、

「細かいこと考えすぎ~!そんなに考えなくても大丈夫!」

と、何故か励まされるという不本意な結果になりました。

 

こんな風に自分の思ってることが相手に伝わらないという経験を嫌というほどしてきたので、当たり障りのない会話をするように気をつけたり、そんなに細かく考えないほうがいいんだな、と今までは自分を納得させようとしていました。

 

ただこのときのことを振り返ると、自分でもどんな思いを人と共有したいのかがわかってなかった気がします。

「何故か」励まされたわけではなくて、わたしが励ましてほしそうに赤白帽の話をしたから励ましてくれたのかな、と今は思います。

 

話の重心が自分に全然かかっていなくて、相手に寄りすぎていたのです。自分はこんなふうに思う、あなたはどう思う?という、フラットな対話をするのがとても難しかった。

 

今は自分自身との対話のコツがつかめてきたので、不必要に自分を抑えないで、ちゃんと自分の思いを自分自身はわかっていることが増えました。

あるがままの自分で人とコミュニケーションすることを学び中です。

誰といてもわくわくしてる自分でいたいな。

 

 

 

 

 

僕が僕であるために

年明けからたくさんの悲しいことが起こり、我が家は一家で下痢嘔吐して苦しいお正月でした。

色んな思いがわき上がるのを日々の生活の中でやりすごしています。

ほんとに思いを言葉にするのがむずかしいと、年を経るほどにしみじみと感じる。

 

ただただ今は祈りを向けるのみで。

日常を送れている今わたしにできることを心をこめて行うことで、何かのこたえにたどりつけるのかなと思う。

いつもと変わらない場所にいつもと変わらないわたしがいること、それが周りへの安心につながるのかな、と思ったり。

わたしは今日、色んな人、物、自然、周りのすべてのおかげで生きることができました、ありがとう。

 

ありがとうございました。

2023年が終わります。

自分に向き合い続けた一年でした。

そもそも内向型(自分の内面の思考や感情に指向が向く)が強いため人生のほとんどを自分と向き合っていたようなものでした。

今年は、周りの基準を度外視する価値観を取り入れられたことがとても大きな変化であり、新しく生まれなおしたと言えるほどのものでした。

自分の人生の運転席に、誰かを座らせたりしないこと。

自分で自分をジャッジしないこと。

自分が自分の一番の味方であること。

ありのままの自分でいること。

なかなか出来ないって思いながら書き出してみたけれど、

これってもともと小さい子どものときはそうだったはず。

 

変化の真っ只中にあり、このブログも、始めた当初から変化していっています。

2024年はもっともっとシンプルに、自分自身に戻って前へ進もうと思います。

来年もよろしくお願いいたします。

 

年末といえば

以前、水が冷たい年末時期に換気扇掃除するより水が暖かい夏に掃除することにしようと思った、というブログを書きました。

年末が近づくにつれ、やっぱり掃除しとこうかな、という気分に、心の中がそういう雰囲気になってきています。

 

いつも「社会の空気」みたいな目に見えないものと闘っていた気がします。

自分で自分を「社会通念」というようなあるようなないような、見えないもので縛っているんだなあと思うようになりました。

古くからある習慣のほとんどに意味がないように思えたり自由を奪うもののように思い込んでいた気がします。

 

最近、年末の大掃除の意味について自分の中で少し見方が変わったことがあります。

 

ユングの、錬金術と深層心理について書かれた本を読んだり、人間の意識について脳科学の研究を聞きかじったりしたことから思ったのですが、現実に体験していることの意味以外に、体は心的経験というものを体験しているということ。

 

部屋の乱れは心の乱れ、という言葉が思い浮かぶのですが、断捨離したり部屋を整理したりすることは、心の中の不要なものを処分したり整理したりすることとつながっているようです。

現実にお片付けすることで、心もお片付けされてスッキリする。お片付けという実際の物理的行為を通して、心の中もスッキリするという心的経験を体験している。

 

年末の大掃除は、目に見えるほこりだけではなくて自分の中に1年間溜まったほこりや要らないものをきれいにして、新しい年に向かって準備していくということなのかなと思いました。

 

当たり前のようにやっていたことがどんどん変わっていく時代の中で、変えることや変えないこと、柔軟に取り入れたり変化していきたいです。

ティピー

子どもがある程度大きくなってきて、わたしのプライベート空間が欲しくなってきました。

実家では自分の部屋が一番落ち着く場所でした。

実家で暮らしていたのはまだほんの十数年前なのに、遥か遠い昔のような感じがします。

 

自分の本棚があり、机があり引き出しがあり、一人になれる空間。

今は家族のものが渾然一体となっています。空間の状態も意識に反映されるのでしょうね。。

家族の意識が一体となっている。一体感、といえばポジティブといえるけれど、渾然一体となって境目がわからなくなりかけている気がします。

 

タイトルのティピーというもの、ネイティブアメリカンの移動式住居の呼称みたいですが、ティピーテントという三角形のテントが欲しいなあ。

なんかおしゃれな子供部屋にありそうなやつ。

未開の部族の住居は空間がひとつなので、角の方に一人になれるティピーテントみたいなスペースがあるらしい。

長い歴史の中で人間は頭で考えながら体の声もしっかり聞いてきました。

わたしも体の声を聞くことにもっと重心を移していきたいです。

 

 

 

スパイス・ガール

ジョジョの奇妙な冒険5部「黄金の風」、アマプラでやっと最終話まで見た。

ユングの自伝や深層心理学の本をずっと読んでいて、日常でやらないといけないことと両立しながら、他にやりたい色んなことは棚上げしてあった。

 

解約するから早く見ないとと思って、途中になっていたのを再び見始めた。結局勘違いで解約しないのだけど、おかげで最後まで見るきっかけになった。

 

トリッシュが自分の気持ちと葛藤しているとき、はじめてトリッシュ自身のスタンド「スパイス・ガール」が話しかけてくる。

 

『ずっと前からいます。あなたが幼い時からいつもあなたのそばにいました。』

 

スタンドはその人の精神が具現化したものとのこと。「黄金の風」は終盤に向けてどんどん意識と無意識の世界の狭間に向かっていく。

意識と無意識の世界にわたしの内面が向き合い続けているとき、意図せずこのような現実が立ち顕れること、そのような内界と外界のつながりに圧倒される。

 

トリッシュの表面の意識は「迷って」いると意識している。でもスパイス・ガールはこう言う。

 

『あなたは自分でそう決めている。』

 

わたしももう決めている。

誰かに委ねるのじゃなく、自分で歩くことを決めている。

 

スパイス・ガールの能力は「柔らかくする」こと。曲線を描きながら進んでいく。自分で歩くことに疲れたら、休んでもいいし乗り物に乗っても寄り道してもいい。

針路と行き方は自分が決める。