『世界は関係で出来ている』やっと最後まで読んだ。読んだけれど。。
本を読むとき、理解しようと何回も同じ箇所を読むことがある。文章をよく理解できないときや、物語ではない文章を読むとき、展開している論理をしっかり捉えようとして読む。
この本に関してはもう理解しようとしても理解できない部分が多々あり、目でなぞるだけの箇所を含めてなんとか最後のページにたどり着いた。
わたしが掴んだように思えるわずかな、おぼろげな輪郭はこう。
「観測していないときと観測しているときで結果が変わる(観測することで波であった性質が粒子になる)」という量子の性質を、筆者のカルロ・ロヴェッリはこんなふうに考えている。
『観測者』というものが『外側の特別な何者か』に限定されるのではなく観測者自体もまた観測される自然物であり、その相互作用により様々な物質は存在する。
相互作用しないものはこの世の中に存在せず、独立して存在し得ない。
この空間を満たしているものはすべて素粒子であり石ころも風も木も、すべて、細かく砕いていった世界では干渉しあっている。
誰にも認識されない山奥の石も、大地と触れ、太陽から届く光や熱を受け、石自体を構成する無数の素粒子同士の干渉によってそこに存在する。
わたしが見ている間はわたしの現実に蝉は実体として立ち現れる。
わたしが見ていないとき、蝉はわたしという観測者がいなくても存在する。それは蝉がこの世界を構成する素粒子と相互に干渉しあっているから。
この解釈を受けて、目から鱗が落ちるような、すべてのピースを理解できていないが故の霧がかかるような。。感覚を感じる。。
それでは、実験室で観測していない状態の電子というのは、どういう状態なんだろう、相互作用は起こらないような実験環境ということ??
明晰な頭脳が欲しい。。
自然科学や哲学、物理学、いろんな道具を持ち寄ってこの世界を探求する人たちがいて、本を介してわくわくする世界にほんの少し浸れる。
素粒子によって自分は世界とつながっている、そんなふうに夢見ることが出来るのを幸せに思う。