一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

あだ名は十円やす。

図書館で「はれときどきぶた」(矢玉四郎 作絵)を借り、子どもと一緒に読みました。

自分が子どものころ図工の時間に糸ノコでパズルを作るとき、この絵を描いたことがあり内容は忘れていたけどインパクトのある絵柄はずっと覚えていました。

子どもが幼稚園までは、よく寝る前に絵本を読んであげていたけど、読んで読んでと言ってこなくなってからは読み聞かせからは遠のいていました。

 

たまたま見つけて自分も読みたくなったので寝る前一緒に読んでみると。。

自分が爆笑して読み進められないほど面白い。

子どもも初めは字が多いので食い付きが悪かったのですがすぐに心をわし掴みされたようでゲラゲラ笑っています。

 

出版が1980年代で昭和感につつまれており、同級生の名前をもじって笑いのネタにするなど今では受け入れられなさそうな笑いにあふれています。

わたしは人が傷つく笑いやパワハラモラハラにわりと過敏なほうなのですが、人間の本性というのか、理性を越えたところにあるエネルギーが反応するのか、大爆笑してしまいました。

 

我が子の小学校では、子ども同士も名字にさん付けで呼び合うように指導?されてる模様。

からかわれて嫌な思いをしないようにという配慮だと思いますが、実際はふつうに名前でからかわれてたりします。

つけられていやなあだ名って確かにあるしそれはちゃんとだめってわかってほしい。でもだめって言われてても言うし、そしてだめな分、表に顕れずに見えないところでエネルギーが膿みます。

 

ずっとお行儀よくして全然羽目を外さないと、パンパンに膨らんだ風船みたいに突然破裂したり空気が抜けてしぼんでしまってもおかしくありません。

ちょっとしたガス抜きのようなやりとりが出来る環境って子どもには必要だろうな。

面白い本の話をしたかったのになぜか教育や社会に物申すみたいになってる。。

笑いって大事。