あまり生活する上で重視しないようなことをつらつら考えてしまうのですが、今日は子どもの赤白帽のことを書きたいと思います。
子どもたちが幼稚園の年長さんのときから赤白帽を使っていて、小学生でもそのまま使っていたのですが、あごひも?が取れてしまったのでお直ししようと思ったときのことです。
赤白帽をそんなまじまじと見たことがなかったので知らなかったのですが、赤帽のほうは赤い糸で、白帽のほうは白い糸で縫製してあるのです。
びっくりして、しばらく放心してから誰かと分かち合いたい気持ちになりました。
こんな細かい心遣いで赤白帽が出来上がっていたことに感動して。
ついでにいうと、手縫いでお直しするとき赤糸か白糸、どちらでなおすべきか、という、一般的には「好きなほうで」と言われそうな問題について誰かと純粋に意見交換をしたくなりました。
真剣に向き合うことで、帽子を作ってくれた人と心を重ねられる気がしたというか。。
なんとなく小さな町工場(令和ロマン?)をイメージしたけど今はきっと機械で大量生産ですね。
調べたらこうでした↓
『紅白帽は、昭和の中期・後期に活躍した喜劇俳優にして落語家で発明家でもあった柳家金語楼が発案し、実用新案として登録したのが始まりで、当初から全国に広く普及し、今日の日本においてもほとんどすべての小学校で採用されている。』
最初に作った人は色々試作したんだろうな。
ミシンを使ったことがある人はわかると思うのですが、ミシンは上糸と下糸に分かれているので表と裏で色を変えることが可能です。
ミシンで作るようになってから赤と白の糸で縫うようになったんでしょうね。
考え始めると止まりません。。
当時のママ友に、
「赤白帽のひもをつけ直そうと思ったら、赤と白に縫い糸が分かれていた!どっちの色で縫えばいいと思う?」
っていうふうに話をしたら、
「細かいこと考えすぎ~!そんなに考えなくても大丈夫!」
と、何故か励まされるという不本意な結果になりました。
こんな風に自分の思ってることが相手に伝わらないという経験を嫌というほどしてきたので、当たり障りのない会話をするように気をつけたり、そんなに細かく考えないほうがいいんだな、と今までは自分を納得させようとしていました。
ただこのときのことを振り返ると、自分でもどんな思いを人と共有したいのかがわかってなかった気がします。
「何故か」励まされたわけではなくて、わたしが励ましてほしそうに赤白帽の話をしたから励ましてくれたのかな、と今は思います。
話の重心が自分に全然かかっていなくて、相手に寄りすぎていたのです。自分はこんなふうに思う、あなたはどう思う?という、フラットな対話をするのがとても難しかった。
今は自分自身との対話のコツがつかめてきたので、不必要に自分を抑えないで、ちゃんと自分の思いを自分自身はわかっていることが増えました。
あるがままの自分で人とコミュニケーションすることを学び中です。
誰といてもわくわくしてる自分でいたいな。