一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

「そのまぶしさを見つめてる」

学校が始まりました。兄弟揃って「(3年生国語上の)(5年生図工上の)教科書がない」と言うので、やっと整理した古い教科書の荷物をほどいて探しました。

 

わたしは思い出が捨てられない性質で、子どもの教科書やノート、振り返ったとき成長を偲べる?ようなプリントなどほぼ残しています。

夫はいつ捨てるのかとせっついて来るのですが、大きくなってから一緒にあれこれ思い出を甦らせながら整理してから捨てたいのです。

子どももわたしのそんな意識を受動しているからか小さいときからなんでも溜めるたちで、なぜか穴が開いた靴下さえ捨てたがりません。。

 

そんなわけで、タイムカプセルよろしく箱や袋につめてしまいこんである教科書に、今学年の教科書もまぎれたのかも、と、まとめた教科書などを荷解きしたのでした。

 

暑い二階でクローゼットを漁っても見つからず、ほんまに無いのか!?と、ランドセルをガサ入れ。

3年生のほう、フツーにランドセルから出てきたし。。

5年生のほうは先生が預かっていたとのこと。

『教科書ないとき、だいたい学校にある』

家訓にしたいくらいです。

 

教科書を忘れていったりドリルを持って帰り忘れて宿題が出来なかったり。そんな経験を経て、長男は時間割を合わせることをやめ、毎日すべての教科書を持って行き持って帰るようになりました。学校で置き勉が出来るようになってからは少し軽くなったようですが。。

 

親から見たらあんぽんたんな男子小学生、自分で考え工夫したり、抗ったり妥協したり納得したり、実はあんぽんたんなんかじゃなかったりする。

親の言うとおりのことをしない逞しさがまぶしいです。