一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

流れに逆らわない

今週は予定があまりなく、子どもが学校へ行っていない時間をどう過ごそうかと前から楽しみにうきうきしていた。

ところが発熱のため学校をお休みすることに。元気なときはもう親が手を出さなくても色んなことが出来るようになったけれど、体調不良のときは何かと手をかける必要がある。

微熱だったが病院へ行ってお薬をもらい、静かに過ごす。

動画を見たりしておとなしくしているしわたしも別に何かしてあげるわけでもない。

一緒に並んでごろごろしたりしていると、若干嬉しそうな顔をしている。

普段手のかかる弟のほうについ注意を向けてしまっていて長男とこうして非言語コミュニケーション、ノンバーバルコミュニケーションというやつをとることは少なくなってたな、と気づく。

 

「親って子どもの出来てないところを突いてくるもん」

と、夫の弟の妻が、義父と親子喧嘩している弟に言っていたのを思い出す。

 

出来てないところばっかり言ってきて腹立つ!ではなくて、出来てないところばっかり見えるもん。そういう生き物。っていうスタンスの弟妻に、なるほどな!と思った。

 

そういう親にOKを出すし、そういう親になっている自分にもOKを出していいと思った。

でも自分が嫌だったことを子どもに同じように繰り返したくはないから、言い方を考えたり、出来ても出来てなくても大好きだよと伝えたり、そんなことは惜しまない。

それはもう子どものためというより、自分自身のためなんだと思う。