一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

登校拒否に思う

今日は次男が学校へ行きたくないといって起きてこなくて、わたしは仕事があるし困ったな、という朝でした。

 

1歳から保育園へ行き始め、いつも送っていったあとバイバイがなかなか出来ない日々でした。

3歳で幼稚園へ行き始めてもやっぱり行きたくなくて毎朝押したり引いたり、なんでこんなに嫌がってるのを行かせないといけないのか。。子どもと一緒になって泣いてました。

自分自身が集団生活に馴染めなくて苦痛だった記憶が思い出されて、親子でカウンセリングに行ったりしました。

結局子どもはカウンセリングに行く日に、学校へいく方がいいと言ってカウンセリングに行かなくなり

わたしだけ今も通っています。

 

泣いてる子を無理に学校へ行かせることが辛くて仕方なかったわたしの気持ちが変わったのは、校長先生と面談してからです。

入学前検診を受けに行ったとき、次男は受けたくないといって入り口で大泣きしつづけ、最終的に眼科や耳鼻科の先生が入り口まで来て検査して下さって、わたしは申し訳なさと恥ずかしさでまたまた子どもと一緒に泣いてしまいました。。

 

その場に校長先生もおられて、次男が検診を受けるのをサポートしてくださいました。後日面談しましょうということで、夫とわたしは校長室に伺うことになりました。

 

夫婦で子どもについての意見が違っていて、夫は行かなくなったらどんどん行けなくなるから、泣いていても連れて行く方がいい、というスタンス。

わたしは泣くほど嫌なことを無理強いすることに抵抗がありました。次男は興味がわかないことに取り組むのが苦手なタイプですが幼稚園では先生から、ちゃんとみんなと一緒に仲良くして課題も問題なくやれています、と言われていました。

家では好きなものしか一切食べないし気が向かないことは絶対やらない、おだてても怒っても何してもやらない。それでいて優しく、わたしが困っていたら真っ先に声をかけて気にしてくれる。周りの様子もよく見てわかっている。

 

そんな話を校長先生に聞いてもらったところ父母両方の意見をほんとにしっかり受け止めて下さり、その上で、「子どもが自分でがんばれる力があるのなら、これから社会で生きていくために、信じて背中を押してあげてはどうか。学校ではわたしたちがサポートします」と言ってくださいました。

 

そう言われてストンと心に入ってきました。たぶん、わたし自身の心配な心を受け止めてもらえたという気持ちが、客観的に子どもを見ていく視点に戻してくれたのだと思います。

今までは行けなくても大丈夫、という空気をわたしが出していたと思うのですが、そのときから、「学校は毎日行くもの」として接するようになりました。

 

ここはほんとに難しいところで、環境や本人の特性、色んな相性、要因がからんでくると思います。次男の場合はそのように整えることで学校で楽しく過ごす日が増えて、病欠以外で休むことはない状態で3年生になりました。

 

今日、行きたくない理由を聞いてみると、「行くとき歩くのがしんどい、遠い。学校は楽しいけど行くのがいや」とのこと。

どうやら集団登校で、おしゃべりせずに黙々と歩くのが苦痛のようです。安全を考えると仕方ないことですが本人の言うこともよくわかる。

一人で行くのもそれはそれでいやみたいなので、今日お休みしたら明日はちゃんと行くと約束して終わりました。

結果的に学校へ行けてよかったとか行けなくて心配とかそういう話をつい日常ではしてしまうけど。。

学校へ行くのがいいとか悪いとかそんな基準じゃなくて、学校へ行っていても行っていなくても、もっと純粋に単純に、生きることを楽しんでほしい。

それは自分にもいえることで、もっと純粋に生きることを楽しみたい。

ほんとに子どもから学ぶことの多い日々です。