一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

つながる

生きていくモチベーションが、「人に認められたい」から「わくわくしたい」に変わった。これは我ながらすごいことなのでは?と思う。正確にいうと今現在、そう言っている心の声に気づけた状態である。

 

実際、自分ががんばったことに対してリアクションが無かったりすると勝手に肩透かしをくらったような心境になるのは、長年の生き方が投球フォームのように出来上がっているためだと思う。

出来上がったフォームを修正していくのは難しく根気がいるけれど、自分の最高のパフォーマンスが出せるフォームに気づけたということは、そこへたどり着ける道が開かれたということだ。目的地がわからなければ、どの方向を向けばいいかもわからない。

 

そんなふうに捉えていると、やらなくてもいいことやエネルギーを使わなくていいことがわかってくる。自分がやりたくてやっていること、自分が満足できることもわかってくる。

 

わたしは小さいときから絵を描くのが好きだったが、美しい、心奪われるものを紙の上に再現するのが楽しかったんだと最近気づいた。描いている間わくわくするのだが、描き上げたものはいつも「上手」とか「そっくりに描けてるね」とか、そんな評価に晒されてきた。いつのまにか評価されることが目的になって、自分が表現したいものは置き去りにされていた。上手ってなんだ?

 

字を書くことが瞑想に近いと最近ブログに書いたが、絵を描くことも瞑想に近いと思う。あと手袋や靴下を編むのも瞑想に近い。ひたすら自分だけが今在る状態。人生を生きる自分と、生まれたての生命のような何も基準のない、魂の自分がつながる時間がとても大切。

見ているだけでわくわくするオパール毛糸がまだ余っているので、今度はくるぶしまでの靴下を編もうと思う。