一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

意図すること、コントロールすること

去年、子どもがワンピースにハマってアニメを1話からずっと見ていました。同じ空間にいるのでわたしも一緒に見ていて、ルフィの軽さと熱さにわくわくしていました。

物語なのですが現実の不条理と重なることも多く、アラバスタのときはもう見るのが辛かったです。

早く話を進めて~(涙)と、子どもにお願いしていました。見なかったらいいんですけど見ちゃいます。

 

特にざわざわしたのが、イトイトの実で操るドフラミンゴ。

「なんでもかんでもお前は手の中に閉じ込めて…!!どいつもこいつも操ろうとするから、おれは息がつまりそうだ!」

ルフィのこのセリフを聞いたとき、わたしの心読んでるー!!と思いました。このセリフ、検索したらたくさんの人が心に刺さったと発信しているんですね。

 

周りをコントロールするドフィの姿に自分の心の中にあるものが反応して、自分の窮屈さを見つめるきっかけになりました。

誰からもコントロールされたくないし誰もコントロールしたくない。

 

そのときから少し時間がたった今、意図することの重要さを考える場面に至り、意図(いと)の音の連想からイトイトの実を思い出したので整理したくてこの記事を書き始めました。

 

意図する、は英語でintend、語源を調べると、tendはある方向へ延ばす、inにtendで、中へ延ばすイメージ。

自分の中へ手を延ばしていくイメージかな?

 

コントロールしたくなる自分や思いどおりにならないことにがっかりしたりすることが嫌で、はなから諦める選択をしていました。意図することとコントロールは違うことがはっきりわかって、こうしたいとか、これが自分の望む方向だと意図することを諦めていたんだなとわかって、またひとつ重いものが外れた気がします。

 

なんでコントロールしたいのか、なにが怖いのか、そうやって対話したとき自分の中にいるドフィも愛しく感じる。

ふんわり軽く、でもしっかりと意図していきます。