一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

考えなくても我あり

どんな風に生きたいか、考えることが多いのは毎日を平穏に過ごしているからなんだなぁーと実感しました。

 

久しぶりに子どもの体調不良が続き、夜中に耳がいたくてうなされる子どもに付き添っていたので寝不足です。

あまりに痛がるので救急車呼んだほうがいいかも、という夫の言葉に動揺しつつ様子をみます。

翌日、救急病院を受診したら中耳炎とのこと。

 

夜中うなされてたのは足が熱くてだるかったそう。耳が痛いって寝る前言ってたから、耳が痛くて寝られないんだと思い込んでめっちゃ耳冷やしてたのだが。。

 

猛暑の日々、すでに体力が削られているところへ生活リズムの乱れで疲労がピークでした。頭がぼーっとして何でもがめんどくさい。

あー、疲れ果ててると余計なこと考えないんだわたしの脳みそは。。

 

余計なことっていうのは、ただ「生きることに必死なとき」には考えられない色んなこと。

意識についてよく考えるんだけど、意識している自分は傍観者であるとも言われているそうで、あれこれ考えても考えなくても、客観的に起こる事実は変わらないのかな、とか。

考えすぎず考えなさすぎず、中間でやっていけたらいいなあー。

とりあえずイオンで売ってた『楊枝甘露(よんじーがむろぅ)』が美味しかったです。