一行の詩

直観のままに、わくわくして生きていく

めだかの学校

誰かと話を合わせるためにそれほど興味のないドラマを見たり、これを見ておけば誰々さんと会話が弾むだろうといった気持ちで自分の時間を何かに使うことがとても減りました。

時間があるともっぱら心理学の本を読んだりしています。

 

昨日子どもの小学校で運動会がありました。子どもの競技の観戦応援が主目的ではあるのですが、保護者同士顔を会わせる貴重な機会でもあります。

PTA本部をしていたこともあり顔見知りやランチに行くようなつながりがそれなりにあるのですが、常に仲良くしているようなグループには属していません。

子どもが幼稚園のころは子どもと一緒に家を行き来するお友達も多かったのですが、コロナや、小学生になって子ども同士の交遊関係が変わってきたこともあり、どっぷり入ってるようなお友達関係はなくなりました。

 

そういう変化を清々しく感じていたのですが、やっぱり寂しい気持ちもあるみたいです。

子どもが幼稚園の頃、仮面ライダーが好きなお友達と遊びたいんだけど子ども自身は仮面ライダーに興味が持てなくて「ぼくも仮面ライダーが好きだったらよかったのにな(そうしたらお友達ともっと楽しく遊べるのに)」と言ったことを思い出します。

 

ややこしい所をしっかり受け継いでくれたものです。子どもは結局、仮面ライダーが好きになって楽しく遊んでいたのですが、仮面ライダーが好きだったのか仮面ライダーを介してお友達と交わされる楽しさが好きだったのか、などと自分の意識の中で考えてみたりします。

子どもにとってはどちらでも良かったのかもしれないな。そのとき楽しそうに遊んでいたことに変わりないんだから。

 

大人になったわたしがどちらを選ぶかといえば。出来れば寂しさを受け入れながら、自分の道を歩いていきたいな。